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携帯電話がありブラウン管のない1994年
2023年09月15日
バカリさんの「バカせまい史」で「ドラマ・映画で携帯電話を置き忘れるくだり史」を取り上げたら初期の例として挙がるかしら?
京都シネマにて「エドワード・ヤンの恋愛時代(中国語題:獨立時代)」を鑑賞。「クーリンチェ少年殺人事件」という歴史的な傑作を撮ってしまったあとの、意外にも軽やかなスタイルながら政治的なミーニングも滲ませる野心作です。
1994年制作で、富裕層の若者の恋愛や友情を描く物語上職場が描かれるシーンが多いのですが、携帯電話がごく自然に小道具として使われていて驚き。「異性の部屋に携帯電話を置き忘れる」「置き忘れた電話が鳴る」「取りに戻った人物と部屋主との関係性が変わる」といった、ケータイのドラマでの活用法の定番をさらっとこなしています。当時の日本でこんな自然に演出していたかなあ?
それと、この時代当然職場や自宅にあるはずのブラウン管のテレビやPCモニターがほとんど出てこない。デスクにキーボードは見えるのですがあの圧迫的なモニターはなぜか映らない(ワープロの可能性も無くはないですが)。
このため、30年前の映画なのに視覚的印象が陳腐化していない。このあたり監督の美学的判断かもしれません。
Y・R
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